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多田健二 [芸能]

9月9日に行われたお笑いバトル「歌ネタ王決定戦2015」で「COWCOW」として優勝、2012年にチャンピオンとなった「R-1ぐらんぷり」とあわせて2冠をゲットしたのが“伊勢丹柄のスーツ”でもお馴染みの多田健二さん(41)です。“劇場番長”の異名どおり、長らく舞台での活動が目立っていましたが、2011年に“あたりまえ体操”でブレイク。メディアにも活躍の場を広げましたが、一向に光が当たらないどん底の時代を支えたのは「ナインティナイン」岡村隆史さんの一言だったと言います。

僕は、ホンマにたくさんの方々にお世話になってきましたんで、なかなか「この人が恩人です!!」というのが言いにくくて。それくらい、皆さんに支えてもらって今日までやってきましたから。ただ、プライベートでどなたと一番一緒にいたかなと考えた時、お名前が挙がるのが「ナインティナイン」の岡村隆史さんなんです。2001年、第1回「M-1グランプリ」が行われた年に東京に出てきたんですけど、そこで、岡村さんも出てらした「ジャングルTV~タモリの法則~」(TBS系)のコーナーに出たり、「ナイナイサイズ!」(日本テレビ系)の前説をさせてもらったりして、岡村さんとご一緒することになっていきました。基本的には岡村さんって、後輩を引き連れて飲みに行くというのをあまりされないんですけど、そこは今でも不思議ながら、波長があったのか、よく連れて行っていただくようになりまして。多い時で週3回、少なくても週1回はご一緒してました。2人だけで行くこともよくありましたし、後輩の僕が言うのはホンマにアレなんですけど、とにかく居心地がいいんです(笑)。全然、スター目線じゃないと言いますか、同級生と飲んでるみたいな感覚で。ちょいちょい“お見合い会”という試みもやってまして。ま、言うても、普通に女性と飲むだけなんですけど(笑)。岡村さんから「女の子を呼んで」なんておっしゃることは絶対にないものの、ま、1軒目は岡村さんと2人だけで行って、2軒目も同じトーンなのもナニなので、ちょっと趣向を変えて、みたいなことで僕が声をかける時もありまして。ただね、そんな時でも、ホンマにフツーなんです。例えば、女の子が「私、男の子の友達も多いんです」みたいなことを言ったら、岡村さんが「いや、男と女の友情なんて成立せえへんよ!!」とそこに普通に乗っかってマジで話していく。常に、誰とでも目線が同じというか、等身大というか、スター感がないと言いますか(笑)。あと、岡村さんも僕もジャージーが好きなんですけど、ある時、僕が着ていたジャージーを見て「それ、格好エエやん。悪いけど、時間がある時に、買ってきてくれへんかな?絶対に(着る日が)カブらんようにするから」と。後日、買ってお渡ししたんですけど、そしたら、次に会った時に、まぁ、見事にカブりまして(笑)。そしたら、楽屋で僕に会うなり「スマン!!」と言ってすぐジャージーを脱いで、誰にも見つからないようにカバンの中に押し込まはったんです。その日は、結局上着を着ないで過ごしてらっしゃいました。律義というか、優しいというか、かわいいというか、そんな方なんです。

ずっとお世話になってきて、いろいろお話はするんですけど「COWCOWはこうした方がいい」とか、逆に「君らはおもしろい」とか、そういうことはおっしゃらないんです。恐縮ながら、するのは地元のツレといるみたいな会話と言いますか。仕事だとか、芸だとか、コンビとしての評価だとか…、そういう話には全くならない。岡村さんがどういう意図を持って、あるいは、意図なんてなくてナチュラルにそうしてらっしゃるのか、それは僕には分かりませんが、だからこそ僕も「仕事、どうしたらいいですかね」みたいなことは聞かずにここまできたんです。ただ、岡村さんにお会いしてからの数年間は、正直、仕事的には一番しんどい時期でもあったんです。「M-1」に出るものの、どうしても決勝に行けない。02年もダメ、03年もダメ。そうこうしているうちにデビューから10年経って、出場資格もなくなった。「M-1」で結果を出していないこともあり、徐々に仕事も右肩下がりになっていく。どんどん負のスパイラルに入っていくと言いますか…。そんな時期が続き、いよいよしんどくなってきた頃、いつもの“お見合い会”で岡村さんが、ふと、おっしゃったんです。女の子らに僕が自己紹介をしたんですけど、ま、知名度もないので、反応がなんとも薄かった。その時、岡村さんが「ま、あなたたちも、すぐ知ることになりますから」と。衝撃でした。「こういうことを思ってくださってるんや…」と。岡村さんがどこまでどんな思いを持っておっしゃったのか、お尋ねしたことはありませんけど、少なくとも僕にとってはとんでもなくうれしい言葉でした。しんどい時に、初めてそんなことを言ってもらった。また、直接的じゃないことが、より一層心に染みました。その言葉で「岡村さんがそんなことを思ってくださってるんやったら大丈夫。また、大丈夫なように、こっちがしていかなアカン」と思えるようになったんです。それを言ってもらってしばらくして、08年あたりから「爆笑レッドカーペット」(フジテレビ系)などにも出るようになり、そこから“あたりまえ体操”にもつながっていったんです。さらに、そこからの話で言うと、岡村さん、プライベートでクラブのDJをやってらっしゃるんですけど、あたりまえ体操が世に出てから「…あの~、今度DJをやる時に、あたりまえ体操をクラブバージョンにして流したいんやけど、かまへんかなぁ?」と言ってもらいまして。その言葉も、とても、とても、うれしかったです…

この前「歌ネタ王」で優勝した日は9月9日。その日は毎年恒例の「ナインティナイン」のイベントを大阪・なんばグランド花月でやってらした日でもあったんです。「歌ネタ王」の放送時間が午後8時から10時まで。恐らく、イベントは午後9時には終わってたはずなので、ここからは僕の想像なんですけど、9時以降は楽屋ロビーでテレビを見てくれてたと思うんです。ただ、今のところ、優勝したのに何の連絡もなくて…(笑)。ただ単に見てなかったのか、優勝したとはいえ「まだまだや!!」と思ってらっしゃるのか。やっぱり、直接うかがうのはナニなので、今度また仕事でお会いした時に「…兄さん、見てくれてましたかね?」という空気だけは出そうと思っています(笑)。■多田健二(ただ・けんじ)1974年8月8日生まれ。大阪府枚方市出身。大阪NSC12期生。中学・高校の同級生、山田與志(現在の芸名・善し)と93年にコンビ結成。「COWCOW」としてABCお笑い新人グランプリ最優秀新人賞、上方漫才大賞優秀新人賞などを受賞する。同期は、小籔千豊、土肥ポン太ら。2001年に東京進出。2011年ごろから“あたりまえ体操”でブレイクする。2012年にはピン芸人No.1決定戦「R-1ぐらんぷり」で優勝。今年9月には、コンビで「歌ネタ王決定戦2015」でもチャンピオンに。2010年、一般女性と結婚し翌年に長女が誕生しているそうです
タグ:多田健二

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